ホトトギスのこと

増田 徹(Young探鳥会担当)

2年前、塔ノ岳で登山をしているとき、あちらこちらで「特許許可局」と鳴いているのに、全然その姿を見ることができず、一体何がどこで鳴いているんだろうと不思議に思いました。運良く近くで鳴いているものがいたので、息を殺してその姿を見ることができました。胸の横斑がとても綺麗で、何とも言えないその魅力に見とれたことを、今でもよく覚えています。それが私のホトトギスとの出会いです。

 

ホトトギスというと、俳句雑誌の「ホトトギス」が思い浮かびます。小学生の時、家族で四国に旅行へ行き、松山の道後温泉を訪れました。その時、これくらいは読んでおきなさいと、夏目漱石の「坊っちゃん」を買って貰いました。夏目漱石は当時千円札にもなっていた、所謂偉い人というイメージ。本を買って貰ったもののなかなか食指が動きませんでしたが、夏休みの宿題に飽きたある日、ふとパラパラと読んでみると、そのユーモアに脱帽!スラスラと読んでしまいました。その「坊っちゃん」や「吾輩は猫である」が連載されていたのが、雑誌「ホトトギス」で、私がホトトギスという名前を初めて知ったのは、「坊っちゃん」からなのです。私は当時から、何で雑誌の名前に、ホトトギスなんて見たこともないマニアックな鳥の名前を付けたのだろうと不思議に思っていました。

 

雑誌「ホトトギス」の名前は正岡子規から来ています。正岡子規の雅号、子規はホトトギスの別名です。「鳴いて血を吐くホトトギス」という言葉から、喀血に苦しんだ自身に重ねて付けた名のようです。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」のイメージから、私の中では子規はわんぱく小僧の印象が強いです(秋山真之と記憶がごちゃ混ぜになっているかもしれませんが)。その印象に引っ張られてか、雑誌の名前に自分の名前を当て、本名升(のぼる)からBaseballを野球(やきゅう/の・ぼーる)と訳すなど(子規は「バッター」を「打者」など、野球用語の多くを今日使われている言葉に訳しており、野球殿堂入りも果たしています)、結構目立ちたがりなのかなと思っていました。しかし、調べてみるとこれは私の誤解で、雑誌の発刊・命名をしたのは子規の友人柳原極堂であり、また、野球については雅号として「野球」とも名乗っていたものの、正式にBaseballを野球と訳したのは中馬庚のようです。詩歌の世界では、ホトトギスは春の花、秋の月、冬の雪に並ぶ夏の代名詞であり、夏を表す言葉は他にもっと何かあるだろと思わなくもないですが、万葉集に登場する鳥はホトトギスが最多と、俳人・歌人の間で愛されてきました。このような背景も、俳句雑誌の名前として相応しいとされた理由、ひいては子規が雅号として採用した理由の1つかもしれません。

 

万葉の時代から愛されてきたホトトギスですが、今ではその鳴き声を聞くには少し遠出をしなければならないでしょうか。山本健吉も、あれほど日本の詩歌に詠まれた鳥なのに、その声を聞いたという確信がなく、恥ずかしいようなものであるというようなことを書いています。渡りの時期など、東京近郊でも、夜上空を通過するホトトギスの声が聞かれることがあるそうですが、私はまだ聞いたことはありません。

 

ホトトギスの仲間は昔話や言い伝えにもよく登場します。私は、モズとホトトギスのお話が面白くて好きです。(ホトトギスは、昔からモズに貸しがある。それを返してもらうかわりに、蛙などを枯れ枝に刺しておくよう、モズにいいつける。時々それを催促して「トッテカケタカー、トッテカケタカー」とホトトギスは鳴く。)愛媛県に残る物語だそうです。昔は農家の方が、ホトトギスやその仲間の鳴き声によって農作物の種まきの時期の指標にしていた地域もあるようです。そのため、勧農鳥(かんのうちょう)、早苗鳥(さなえどり)、田歌鳥(たうたどり)などとも言われるそうです。他にも杜鵑、不如帰、時鳥、杜宇など(いずれの読みもほととぎす)の漢字も当てられます。それぞれの「ホトトギス」に由来があるようですので、興味のある方は調べてみて下さい。托卵の習性は有名ですので割愛します。

 

これから、秋の渡りの季節です。私は塔ノ岳で初めて姿を見たきり、残念ながらホトトギスを見掛けたことがないのですが、近所の公園や森にやってこないかなと、少し期待をして探してみたいと思います。 

 

最初で最後、塔ノ岳で見たホトトギス

 

 

参考文献:

・山本健吉(1980) ことばの歳時記

・野鳥(1995年4月号)

・風信子(2008) 俳句と詩歌であるく鳥のくに