西村 眞一(善福寺公園探鳥会 担当)
GW期間中の5月2日~3日に、山梨県北杜市へ出かけてきた。目的は北杜市内にある3箇所の訪問であった。まず最初に訪れたのは、日本で唯一の動物画の美術館である「薮内正幸美術館」であった。2023年度前期企画展『野生の世界~自然界に生きる~』が開催中で、動物画家の薮内正幸さんの哺乳類や鳥類の作品が展示されていた。私が日本野鳥の会に入会したのは、1976年だった。当時主要新聞に、毎月第3週の日曜日の紙面にサントリーが、薮内さんの鳥のイラストを使った『愛鳥キャンペーン』を展開していた。そのキャンペーンの紙面に、日本野鳥の会の入会案内があり、それが縁で私は日本野鳥の会に入会する事になった。
薮内正幸美術館 5月2日
薮内正幸美術館 5月2日
次に向かった先が「八ヶ岳倶楽部」であった。八ヶ岳倶楽部は、俳優であった柳生 博さんが、1987年7月に現在地の北杜市大泉町にオープンした倶楽部である。柳生さんが家族と共に森を築き上げて、今ではカフェやレストランの他に、ギャラリーなどもある。柳生さんは2004年に日本野鳥の会の会長に就任し、2019年まで会長を務めた。私は日本野鳥の会の理事会や連携団体総会などでお会いして、柳生さんの温かみのあるお顔が印象的だった。柳生さんは2022年4月16日に亡くなった。享年85歳だった。同年7月30日に八ヶ岳倶楽部で、柳生さんのお別れの会が開催され、柳生さんの字が彫られた“パパの石”がお披露目された。
パパの石 5月2日 八ヶ岳倶楽部
最後に向かったのが、日本野鳥の会創設者の中西悟堂さんと、その呼びかけで集まった11家族の土地のある八ヶ岳野鳥村と呼ばれている場所であった。その野鳥村には12家族で共同で建てた「悟堂山荘」がある。悟堂山荘は一般には公開されていないが、今回は日本野鳥の会参与の安西英明さんにお誘いを受けて、訪ねることができた。
悟堂山荘 5月3日
悟堂山荘を設計したのは、戦前からの日本野鳥の会会員であった建築家の松井虎二郎さんである。松井さんは、日本野鳥の会東京支部の幹事で、多磨霊園探鳥会の担当者でもあった。松井さんは、日本野鳥の会が1972年に発行した野外観察ハンドブック『山野の鳥』や、1976年発行の『水辺の鳥』の野鳥図版を全て描いていた。また1979年に東村山市・東村山図書館から発行された『東村山の野鳥』の野鳥図版もすべて描いていた。
山野の鳥、水辺の鳥、東村山の野鳥
3日早朝より有志による八ヶ岳野鳥村自然観察会が開催された。案内人は安西さんで、鳥はもちろん植物昆虫も解説する安西節が、参加者に大好評だった。
八ヶ岳野鳥村自然観察会 5月3日
鳥はアオゲラ、サンショウクイ、ジョウビタキ、キビタキ、オオルリなどを記録した。私は野鳥を見て今年で47年目となるが、今までサンショウクイの声は何度となく聞いたことがあるが、姿を見たのは今回が初めてであった。サンショウクイの腹が白いのが、印象的だった。
アオゲラ雄 5月3日 悟堂山荘前
サンショウクイ 5月3日 悟堂山荘前
悟堂山荘の前で一番感激した鳥は、ジョウビタキであった。ジョウビタキは冬鳥で、私のフィールドである善福寺公園では、11月~3月にかけて生息している。
ジョウビタキ雄 2020年2月2日 善福寺公園下池
ジョウビタキ雌 2018年2月12日 善福寺公園上池
ジョウビタキ雄 5月3日 悟堂山荘前
ジョウビタキ雌 5月3日 悟堂山荘前
2010年に長野県富士見町で、ジョウビタキの繁殖が確認された。国内でのジョウビタキの繁殖は、それまで北海道内で1回だけ繁殖が確認されていたが、富士見町での繁殖は、本州で初めての正式記録となった。今では北杜市内でも、ジョウビタキは繁殖している。今回の八ヶ岳野鳥村自然観察会には、2010年に富士見町で初めてジョウビタキの繁殖を確認した方も、2名参加していた。
中西悟堂さんが昭和の初めに住んでいた千歳村烏山、その後の善福寺池のほとりの3箇所、戦前住んでいた福生町、戦後の東秋留村二宮、横浜市山手とそれぞれの場所を訪ねたが、今回念願の悟堂山荘を訪ねることができた事は、中西悟堂研究家の私としては、大変にうれしかった。また冬鳥でないジョウビタキにも会えて、こちらも大変にうれしかったです。
参考図書:『野鳥居第5号(中西悟堂協会 編)』 (社団)生態系トラスト協会発行 2012.5.1
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