西村眞一(中西悟堂研究家/善福寺公園探鳥会担当)
日本野鳥の会(現在は公益財団法人 日本野鳥の会、以下野鳥の会)は、昭和9(1934)年3月11日に創立された。同年5月に発行の野鳥誌創刊号によると、同日に野鳥の会座談会が行われ、場所は「丸の内陶々亭」であった。38歳で野鳥の会を創設した中西悟堂が最初に挨拶をし、その挨拶の中で中西悟堂は野鳥の会を創設した理由として、「日本の国をより一層鳥の楽園たらしめたいという考えもその一つであるし、また林業上、農業上からも鳥を一層保護するような考を一般化したいというのもその一つであります。」と述べている。
「野鳥の会」座談会(野鳥誌創刊号P.44)
ちょうど野鳥の会創立90周年目となる3月11日に、その「丸の内陶々亭」があった場所を訪ねた。
但しこの「丸の内陶々亭」の場所を特定するには、困難を極めた。
野鳥誌創刊号には「丸の内陶々亭」での座談会の写真が掲載されているだけで、住所は記載されていなかった。
そこで戦前に発行された都内の古地図からその場所を特定するのだが、戦前に発行された1/3000の地図を解説した之潮(コレジオ)発行の『帝都地形図』第4集「麹町東南部」に「陶々亭」があった。
またその後に昭和5(1930)年11月に東京交通社より発行の『大日本職業別明細図 東京市麹町区』にも、「陶々亭」があるのがわかった。
「陶々亭」(赤い矢印)『大日本職業別明細図 東京市麹町区』(復刻版)
地図によると「陶々亭」は日比谷公園に隣接し、フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルの北側にあった。
帝国ホテル(戦前の絵葉書)
「陶々亭」は現在の日比谷通りと晴海通りの交差点近くにあった。交差点の角地にある「常盤生命保険会社」の跡地には、現在「日比谷マリンビル」が建っている。また「陶々亭」の跡地には「東宝日比谷プロムナードビル」が建っている。
正面が「日比谷マリンビル」、左側が「東宝日比谷プロムナードビル」(日比谷交差点)
座談会の写真からお歴々が和室に座り込んでいる様子がわかる。この様に和室に皆が座り込んでいるので、てっきり「陶々亭」は日本料理屋かと思っていた。今度は「陶々亭」について調べてみると、大正11(1922)年7月10日発行の「サンデー毎日」に掲載された、芥川龍之介の小説『一夕話』の中に「円卓のまはりを囲んでゐるのは同じ寄宿舎にゐた、我々六人の中年ものである。場所は日比谷の陶々亭の二階」とある。平成8(1996)年岩波書店発行の『芥川龍之介全集第九巻』によれば、「陶々亭は日比谷公園に近い、有楽町一丁目の中華料理店」とある。「陶々亭」は日本料理店ではなく、中華料理店(当時は支那料理店)だった。
座談会出席者が座談会の前後に日比谷公園に探鳥に行ったかはわからないが、5年ぶりに日比谷公園で探鳥した。
日比谷公園(雲形池)
日比谷公園に着くなり、ハシブトガラスが巣材をくわえていた。
ハシブトガラス
上を見上げると、樹上にハシブトガラスの古巣があった。
ハシブトガラスの古巣
5年前の時は、梅園に都内では珍しいニシオジロビタキがいた。
ニシオジロビタキ 2019年3月2日 日比谷公園
さすがに梅の花はもう散っていたが、大寒桜(オオカンザクラ)が満開だった。
大寒桜(オオカンザクラ)
桜の花の蜜を求めて、ヒヨドリが桜に群がっていた。中には逆さまになっているヒヨドリもいた。
ヒヨドリ
ツグミが第一花壇の芝生の中にいるミミズを捕まえていた。
ツグミ
ツグミ
日比谷公園で一番多い鳥は、スズメである。「スズメを撮るなら、日比谷公園」と、言われているほどである。
スズメ
スズメ
日比谷公園には8時から12時までいたが、シジュウカラやウグイスなどを含めて、12種類を記録した。
日比谷公園を後にして、日比谷濠、馬場先濠、和田倉濠と探鳥した。5年前の日比谷濠には、セグロカモメやオオセグロカモメの群れがいたが、今回カモメ類は1羽もいなかった。
セグロカモメ、オオセグロカモメ 2019年3月2日 日比谷濠
日比谷濠には、ホシハジロ、キンクロハジロ、カイツブリ、カワウ、オオバンがいた。
オオバン
馬場先濠には、ヨシガモ、ハクセキレイがいた。和田倉濠には、オカヨシガモ、ヨシガモがいた。
オカヨシガモ雄
ヨシガモ雄
10年後の日本野鳥の会創立100周年の時も、また「陶々亭」跡地を訪ねてみたいものである。
日本野鳥の会東京
Wild Bird Society of Japan TOKYO
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